水と生きる、人間はむかしから |
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2007-08-13 Mon 22:11
世間はいわゆる「お盆休み」。私は2週に一度の3連休の最終日。
一昨日は映画づくり教室、昨日はだらだら走ってだらだら昼寝、そして今日は・・・ いい加減な部屋掃除をしてから、六本木に「避暑」に出かけた。 サントリー美術館の東京ミッドタウン開館記念展第二弾「水と生きる」を観に。 まるでサントリーの企業宣伝のような(実際そうだけど)テーマだが、水と生きた近世以前の人々の芸術作品を集めている。 水景を描いた広重の「東海道五十三次」、英一蝶や久隅守景の屏風絵、主に肥前鍋島藩窯の陶芸、染織や漆芸、彫金、薩摩切子の硝子など。 日本人の水についての感覚は、たぶん独特なのだろうと思う。 たとえば、朝露。 蒔絵の器に光る露。こういう表現は、たぶん日本の近世独特のものだろうと思った。 図録やチケットに図柄が使われている、円山応挙の「青楓瀑布図」は素晴らしかった。 流れ落ちる滝は控えめな墨の線で表現され、滝壺の流れと飛沫は、近世画らしい躍動的な姿。 滝の前面に青葉の楓の枝が伸びている。 とても爽やかだし、何より観ていると、滝の音を感じる。 陳腐な感想かもしれないが、本当に、音が聴こえる絵だ。 猛暑日の避暑にはうってつけの涼しげな展覧会だった。陳腐な感想だな。 六本木に行ったついでに、昨日『夢の扉』で観た、ミストシャワーを体感しに、ヒルズまで行った。 ![]() オープンドアの場所だが、確かに若干涼しい。 涼んでいる人たちが多かった。 水を讚えた昔の人々の心が、水を粗末に扱った時代を経て、いまよみがえってきた感じだ。 |
旅日記・塩田平アートツアー篇その1 |
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2007-08-13 Mon 22:09
もう2週間以上も前のことを「旅日記」として書くのも間抜けなことだが、日々流されて生きているので、こうなってしまった。
言い訳はともかく、7月27日の旅の空のことである。 別所温泉駅から「電車存続期成同盟」の無料貸自転車を借りて、初めに前山寺を観た、というところは前回の「旅日記」を参照されたい。 その前山寺の参道の傍らに、「信濃デッサン館」がある。 窪島誠一郎さんの個人コレクションを展示するギャラリーである。 この周辺に点在する「槐多庵」「無言館」も窪島さんが集めた絵画を展示している。 ![]() 山小屋風の建物。館内も心なしか木の香りでさわやかだ。 村山槐多、関根正二、靉光、松本竣介、野田英夫らのデッサン、スケッチが観られる。 とくに最初のコーナーにある夭折の天才・槐多の作品群に圧倒された。 ともかく槐多は情熱的だ。燃えて燃えて若くして燃え尽きた。 (絵描きになるのを親に反対されたことからの反抗心もあっただろう。なお、22歳で肺結核で亡くなっている) 男女問わず恋し、失恋した。 とくにどっきりさせられるのは、斜め後ろから捉えた姿を描いた少年像。この年下の「美少年」に対しては「恋文」も遺している。展示されていた。 槐多の他の作家たちも、多くは若死にした人たちだ。 槐多と関根正二は、10代の頃にこの信濃路を彷徨していたそうである。 遺されるべきところに作品が遺された。 槐多の、小便をする仏の絵や、松本竣介の描いた少女像などに、ちょっと眼をひかれた。 デッサン館には明るい喫茶室とテラスがあって、なかなか雰囲気がよい。 ![]() デッサン館を出て、塩田平の水田地帯と向かいの山々を見渡す道をほんの少し歩くと、アネックスギャラリー「槐多庵」がある。 前面を錆の出た鉄板で覆った外観。狭い入り口を入ると、中はやはり山小屋風の吹き抜けで、吊り階段が階下と2階の展示室をつないでいる。 ここには村山槐多の作品が集められているのかと思ったらさにあらず、現在活躍中の作家の作品が展示されていた。 (つづく) |
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| 悠歩快走録☆3 |
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